問題に焦点をあてる事
問題に焦点をあてると
小さな事がどんどん大きくなる
問題を解決しようとするよりも
問題を見つけ、騒ぎたて、問題を大きく大げさにする事にエネルギーを注ぐ人がいる
全て必然なら
その『問題』と思われる課題は、必要だからそれが発生した
それに自分が立ち会ったなら、ただ自分の内側を内観し。
それから何が生まれようとしているのか、どのように変容しているのかを深い部分で見つめること。
決して、外側の世界に対して反射的にネガティブな反応をせずに。
あなたの発するネガティブな言葉は。
自分を守る防波堤であり、自分の力を誇示するための自信のなさの現れである。
あなたの中の問題を周囲に広げ、他人の問題にすり替えている。
感情的な反応をしている限り。
『私は自分の感情をコントロールできない未熟な人間です。』と宣言しているようなもの。
沈黙は金なり。
君の存在
近くて遠い君の存在
君の存在を道標に、私は旅をする
君がそばにいるかどうかは重要ではなく
君に会えるかどうかは重要ではなく
君の存在から、私が何を感じ。
何を想い、何を受け取るか。
鏡のような君
君に映し出して見ているものはきっと、私なんだろう。
君は、遠くの私に気づき。
私にだけわかるように遠くから姿を見せてくれた。
私には、それだけで十分で。
それだけで、力強く一歩前に進む事ができる。
君の本質に触れたくて、ここまできてみたよ。
海と、山と、自然と共に
今日鎌倉から一旦都内へ移動します。
鎌倉での体験を消化するために、一旦離れて見てみる。
海と生きる人
山と生きる人
自然と共に生きる人
しっかりと大地に足をつけて生きている人達
日々の生活を大切に。
目の前の事を丁寧に。
生き方や、在り方で命を輝かせて生きる事を表現している。
そばにいると、心地よさと息苦しさが半分半分位自分の中にある感情を感じて。
息苦しさは、自分がまだまだ《こっち側》と《あっち側》を行ったり来たりしているからだろう。
あっち側に行ったら『こうでなければならない』枠にまた自分をはめようとしているからだろう。
そうゆう生き方が正しいとか、正しくないとかではなく。
自分が楽に呼吸ができる生き方を探しているのだ。
人それぞれに。
《あっち側》に行ったからといって、苦しい事がなくなるわけじゃない。
悩みがなくなるわけじゃない。
雨が降れば、晴れる日もあり。
嵐が来れば、穏やかな日もある。
それが、当たり前。
人間だけが、いつも常に凪ていようというほうが不自然なのかもしれない。
どんな波が来ても恐れずに、波を楽しむくらいでいいのかもしれない。
今、目の前の事
今、目の前の事を楽しめないやつは、どこに行っても楽しめない。
by 葉山のサーファー
いい事言うね~!
セラピストを辞めても・・・
不動産やさんに物件をいくつか紹介してもらっている間、いろんな話をしていくうちにね。
やっぱり、深い話になるのね。
そして、自然に浮かんだシンプルな質問をしてると確信に触れるのか『実は、まだ誰にも言った事がないのだけど。今、こうしたいと思ってる』と静かな決意を初めて言葉にする瞬間に立ち合う。
結局、セラピストを辞めました!!と決めた所で、それは職業としてお金を得る事をやめただけで。
それはもう自分の生き方なんだと思う。
いろんな人の人生の話を聞くのが好きだからね。
お茶のみながら、別に解決するでもなく答えを出すでもなく、何かセッションをするでもなく。
ただの会話がいちばんシンプルに、私らしくニュートラルなセッションになっている。
飲み屋のママさんやってたのよ。
現場でみっちり経験つんで、肌で感じながら学んできた自分なりのコミュニケーションスキルがあるのに。
テクニックを学んだが故にハマったカタチを一生懸命やろうとしてたわ。
不動産やさん曰わく『緩やかな温泉に入ったみたいで癒されました。ありがとうございます!よし!引っ越しをして、部屋を整理整頓する!!』と。
全く、彼女を癒やそうとか何かブロックがあるのかな?なんて探ったりしてません。
ただ、話していて楽しく興味があった事を質問しただけです。
それで癒されたなら良かったです。
『ただ、話したいから来ました。』
そんなセッションをしてもいいかもしれないなぁ~。